バイク好きの父親が、モトクロスのトップレーサーだった吉村太一氏にあやかり、「太一(たいち)」と命名。川内保育園入園後、モトクロスを始める。
当時、日本で大流行した自転車(BMX)の大会で優勝も経験。児童会、生徒会の役員になり、政治家を意識し始める。
1年生で生徒会の副会長に。
政治家への道を模索する日々。
東京で、ヒロシマへの関心の低さにがく然。本気で政治家になるため、他大学に通いながら受験勉強し、早稲田大学政治経済学部経済学科へ。多くの友人に恵まれる。
出版社の営業などをへて、読売新聞西部本社の記者に。福岡市政を担当した際、市民に熱心に向き合う市議に自身を重ね、広島に戻って政治家になることを決意する。2016年から「広島未来創造塾」で、国会議員や専門家から、リーダーとしての心構えなどを学ぶ。