たいちの徒然日記たいちの徒然日記

元新聞記者むくぎ太一が
日々のできごとを
ホンネでつぶやきます

2019年08月05日(月)

8・6広島平和式典の喧騒:「アベ帰れー」のデモは表現の自由か?

こんにちは、広島市議会議員(安佐南区)のむくぎ太一(椋木太一)です。

8月6日、広島は74回目の「原爆の日」を迎えます。
原子爆弾で命を落とされた御霊に祈りを捧げ、これから先、世界が平和であることを誓う日です。

平和記念式典には、広島市民だけでなく、全国津々浦々、世界各国の人々が、「恒久平和」への思いを胸に集います。本来、こういった式典は、静謐な状態で執り行われるべきものです。しかし、近年、平和記念式典の開催中にもかかわらず、デモ団体などが拡声器を使って「アベ(安倍晋三総理)は帰れー」「アベを許さないぞー」などと大音量で叫んだり、太鼓をドンドン打ち鳴らしたりして、とても落ち着かない状態が続いています。テレビ中継で式典を見たことがある方であれば、安倍晋三総理があいさつしている最中、物々しい雰囲気になっているのを感じたことがあると思います。平和公園の周辺では、こういったことが繰り広げられているのです。

犠牲者を慰霊する場での、このような行為に対し、私は広島市出身者として、とても恥ずかしい思いをしていました。同時に、祖母が被爆者だった被爆3世として、「犠牲者を冒とくされた」思いで憤っておりました。
「国際平和都市」を標榜する広島市は事態を重く受け止めたようで、昨年12月、広島市議会での質問を受け、18歳以上の市民3000人を対象にアンケートを実施しました。これまで5年間に平和記念式典に参列したり、テレビなどで見たりしたことがある1090人に拡声器の音量についてどう思ったかを尋ねると、約60%が「うるさいと感じた」としました。そして、今年6月の市議会定例会の一般質問では、松井一実市長は「式典中にうるさいと感じる音が聞こえている状況は、式典の目的を達成する公共の福祉を損ないかねない」と答弁しました。今回の式典では、デモ団体の拡声器の音量を測定する方針を明らかにしています。そして、今後は条例による規制を検討するなど、実効性のある方法を模索していくとしています。

こうした一連の流れの中で、デモ団体や市民団体は、「表現の自由」を持ち出して音量規制をけん制しています。なにも、デモを止めろと言っているわけではないのですし、行政による弾圧、ひいては保守層からの圧力でもなんでもありません。ただ、音量を常識的な範囲に下げる、あるいは、式典の最中は避けてほしいと言っているのです。それを表現の自由を持ち出すことは、話が飛躍しすぎなのではないかと思うのです。これは、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」が中止になった後のやり取りと類似しているように思います。こういった方々は、巧妙に論点をすり替えたり、自分たちの問題点をはなから脇に置いて一方的に主張するばかりなので、なかなか話が前に進みません。

ところで、平和記念式典は詳しく表記すると、「平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)」です。つまり、原爆で命を落とされた方々の御霊を慰め、恒久平和を祈り念ずるものなのです。「アベを許さないぞー」「アベは帰れー」はどこの誰の慰霊をされているのでしょうか?犠牲者の御霊への敬意などみじんも感じません。デモ団体の皆様は、身内の葬儀や法要の最中、葬儀場の外で「〇〇は帰れー」などと拡声器を使って叫ばれたら、どんな思いがするのか想像できないのでしょうか?これを「表現の自由」と言うのは、詭弁というしかありません。

平和記念式典に合わせたデモは、何かをアピールする「手段」であって、慰霊するという「目的」ではないのでしょう。式典はほぼすべてのテレビ局で生中継されます。特に、広島市長による平和宣言、首相のあいさつの時間帯はそうです。ここを狙って大音量で「アベは帰れー」と叫ぶことは、絶好のPRになるのです。目的は「打倒、アベ」この1点。表現の自由という「衣(ころも)」をまとった、いわば「騒音テロ」に近いものがあるからこそ、60%もの人々が、「うるさい」と感じるのでしょう。

先のアンケートでは、条例による規制に対し、約70%が理解を示しています。今回だけ拡声器のボリュームを落として、「うるささ指数」等を盾に、条例制定に反対することが予想されます。私は、広島市議会議員として、そして、被爆3世として、静寂な環境で被爆者の皆様を慰霊したいと願っています。そう心を一つにすることが恒久平和を実現することにつながると信じ、確固たる信念を持って、条例制定に尽力して参ります。

平和記念式典であいさつする安倍晋三総理